離別のとき

カナダに2年間行くという噂を聞きつけて
卒業生が来てくれました。
有り難いね。
幸せな近況報告も聞けて嬉しかったです。
ありがとう。
I Love You!

これは先日の全体送別会2次会の様子
お祝いということで。。。
杯を持っているのはO先生ですね。
T先生は「ニャンコ」とかつぶやいていたので
かなりご満悦な様子でした。

まずは東京へ。

極右と玉砕

ぶっそうなタイトルだが
私は特定の主張を持たずに
知識として両極の論を読むようにしている。
そうすると
「誰もが正しくて誰も正しくない」ということがよくわかる。
特に歴史においては正解は誰にも分からない。
全ての意味は後付けとなる。

しかし
完全には無理だが
その時代性に閉じ込められるように
本を読んでみると
当時の空気というのが徐々に感じられる。

「ファーライト」とは英語でfar-rightと書き
極右という意味である。
日本の極右と言えば

はい
このふたり。
極右ということは超保守派ということであって
日本においては天皇中心の国を作ろうと主張する人たち
のような意味で使われる。

9割が実体験よって書かれた
水木しげる「総員玉砕せよ!」も読んだ。

水木しげるは
玉砕を余儀なくされた地点を死守しようと奮闘し
多くの犠牲者を出した後に
もう一つ後方の陣地で
のんきに構えている参事に報告したところ
「そこまでして守る地点か?」
とあっさり言われ
言いようのない怒りがこみ上げてきたという。

 

 

一発の銃声が真珠湾を

保坂正康「あの戦争は何だったのか」を読んだ
8月15日を終戦記念日として
甲子園で高校球児たちが黙とうしたり
その日を終戦記念日と呼ぶことの欺瞞がよくわかった。

日本人の多くが終戦は8月15日だと思い込んでいる。
天皇の玉音放送が流れた日をである。
国際的には、東京湾上の戦艦ミズーリ号甲板で
日本が降伏文書に調印した9月2日が
太平洋戦争の終わりということになっている。

ただの終戦ではなく、320万の命を犠牲にした完全なる敗戦であった。
「終戦記念日」とはあまりにのんきな呼び名だ。

3.11東日本大震災が160回分と言えば悲惨さが伝わるだろうか。
しかもこれは自然災害ではなく、わずか6人の大本営の部屋にいた
人間の自己陶酔の結果だった。

石ノ森章太郎「マンガ日本の歴史」
硬派なマンガである。
監修はなんと伊藤隆(歴史学者)
昭和戦前期政治史研究の重鎮である。
保坂の本文内にも引用されている。

新書とマンガを行ったり来たりしながら
穴となっていた日本近現代史を学んだ。

なんとも嫌な気持ちになった。
当初私は原爆を落としたアメリカも相当悪いと
思っていた。
しかし、当時の日本
もっと言えば軍部は最悪だ。

盧溝橋事件にしても
きっかけは中国側から発砲
発砲というより空砲に近いだろう
それを聞いて
「こんな発砲ごときでびびりだと思われたら
日本軍の恥である」ということで
武力行使に向かうのだ。
それで止めておけばいいものを
しつこく中国内部まで侵略してしまう(日中戦争)
「首都を落とせばまいったと言うだろう」
と、クロージングの戦略も持ち合わせず
突き進む。
後付けで「大東亜共栄圏」などとのたまう。
当然中国は絶対にまいったと言わず
この暴挙を国際社会に訴えるのである。

国際社会は「日本よ。いじめはやめなさい」
と言うが日本は弱い者いじめをやめず
「俺のしたいようにさせてくれないような
友達はいらん」と
国際連盟を脱退し孤立化を深めていく。

アメリカは「あんたそれ以上やるんなら
うちの国の日本預金は凍結するし
油も売らんからね」と
経済制裁で追い打ちをかける。

そして
窮鼠猫をかむのだ。

アメリカと日本の軍事力の差は10:1
ジャイアンとのび太以上の差がある。

パールハーバーの奇襲の成功は
サッカーに例えると
キックオフの笛が鳴る前に
ゴールにボールを蹴り込んだようなものだ。
ルール無視もはなはだしい。

一応日本軍もルールを守ろうと
宣戦布告をしたのだが
大使館が暗号解読にまごついている間に
軍部は真珠湾を攻撃してしまった。

その遅れ55分。
この55分のために日本は卑怯者となったのだ。

当時の軍部の最高指導者である
東条英機は
「負けたといったときが負けである」といった。
つまり
ぼこぼこに殴られて血だらけで気絶状態でも
「まいった」と言わなければ負けではない。
少なくとも自分は負けたとは思ってないのだから
負けではない、って。
だから玉砕だって。

その挙句沖縄島民20万人の命
広島市民14万人の命
長崎市民15万9千人の命が失われた。

その直後の大本営では
戦争を終結させるかどうかを決める会議が開かれていた。
6人の採決をとる。
戦争終結に3人
反対に3人。

この期に及んで、3:3と評決が割れるとは。

最終的には
天皇の判断で戦争を終わらせた。
「もういい加減いいでしょう」と言ったかは知らない。

天皇は自らマイクの前に立ち録音をした
1945年8月15日の玉音放送である。
その後GHQの政策によって残された天皇は
同じ過ちを繰り返さぬよう
日本全国を行脚し人民に語りかけた。

2.26事件において青年将校たちの粛清を命じたあと
自らの言霊の力を恐れた天皇は
ここにきてようやく言葉を取り戻したのだ。
現人神ではなく人間として。

 

 

日本近代史の穴

「なぜ日本はパールハーバーを奇襲したのか!」
アメリカ人に太平洋戦争における原爆投下の非道さを訴え出るときに
必ず反論されるのがこの問いだ。

今まで私はうまく反論できた試しがない。
その度に何とも言えない苦々しさを噛みしめてきた。
「日本も悪いけどアメリカも悪いだろ」と
ただそれだけを言いたいのだが
説得力のある論理を組み立てられない。

高校で日本史を勉強したが
あれからもう20年も経っており
そもそも
近現代史まで到達する前に
卒業を迎えた気がする。
だから
私の日本史は縄文時代からはじまって
明治維新で終わっていて
すっぽりと近代史が抜け落ちているのだ。

穴があったら入りたい
穴があったら埋めたい(?)
とは人の性である。

そこで勉強だ。
まずはこの本からはじめた。


加藤陽子「それでも日本人は戦争を選んだ」朝日出版社、2009

自力で本を読んでみるが
いまいちしっくりこないところは
プロに直接聞くのがいいだろう。

隣の席に座っておられる
社会科のY先生に
「攘夷とは何ですか?」
「戊申戦争はなぜ戊申と呼ぶのですか?」
「大老とはどんな地位ですか?」
「新撰組の役割は?」など
聞くは一瞬の恥のごとく質問攻めにしたところ
ミニ生講義実施の後
疑問点が腑に落ち
目から鱗が落ちたのは
Y先生の豊かな知見によるところ大きく
感謝である。

いただいたプリントに書き込みをしつつ
「なぜ日本はパールハーバーを奇襲したのか!」

わかるまで勉強は続く。