一発の銃声が真珠湾を

保坂正康「あの戦争は何だったのか」を読んだ
8月15日を終戦記念日として
甲子園で高校球児たちが黙とうしたり
その日を終戦記念日と呼ぶことの欺瞞がよくわかった。

日本人の多くが終戦は8月15日だと思い込んでいる。
天皇の玉音放送が流れた日をである。
国際的には、東京湾上の戦艦ミズーリ号甲板で
日本が降伏文書に調印した9月2日が
太平洋戦争の終わりということになっている。

ただの終戦ではなく、320万の命を犠牲にした完全なる敗戦であった。
「終戦記念日」とはあまりにのんきな呼び名だ。

3.11東日本大震災が160回分と言えば悲惨さが伝わるだろうか。
しかもこれは自然災害ではなく、わずか6人の大本営の部屋にいた
人間の自己陶酔の結果だった。

石ノ森章太郎「マンガ日本の歴史」
硬派なマンガである。
監修はなんと伊藤隆(歴史学者)
昭和戦前期政治史研究の重鎮である。
保坂の本文内にも引用されている。

新書とマンガを行ったり来たりしながら
穴となっていた日本近現代史を学んだ。

なんとも嫌な気持ちになった。
当初私は原爆を落としたアメリカも相当悪いと
思っていた。
しかし、当時の日本
もっと言えば軍部は最悪だ。

盧溝橋事件にしても
きっかけは中国側から発砲
発砲というより空砲に近いだろう
それを聞いて
「こんな発砲ごときでびびりだと思われたら
日本軍の恥である」ということで
武力行使に向かうのだ。
それで止めておけばいいものを
しつこく中国内部まで侵略してしまう(日中戦争)
「首都を落とせばまいったと言うだろう」
と、クロージングの戦略も持ち合わせず
突き進む。
後付けで「大東亜共栄圏」などとのたまう。
当然中国は絶対にまいったと言わず
この暴挙を国際社会に訴えるのである。

国際社会は「日本よ。いじめはやめなさい」
と言うが日本は弱い者いじめをやめず
「俺のしたいようにさせてくれないような
友達はいらん」と
国際連盟を脱退し孤立化を深めていく。

アメリカは「あんたそれ以上やるんなら
うちの国の日本預金は凍結するし
油も売らんからね」と
経済制裁で追い打ちをかける。

そして
窮鼠猫をかむのだ。

アメリカと日本の軍事力の差は10:1
ジャイアンとのび太以上の差がある。

パールハーバーの奇襲の成功は
サッカーに例えると
キックオフの笛が鳴る前に
ゴールにボールを蹴り込んだようなものだ。
ルール無視もはなはだしい。

一応日本軍もルールを守ろうと
宣戦布告をしたのだが
大使館が暗号解読にまごついている間に
軍部は真珠湾を攻撃してしまった。

その遅れ55分。
この55分のために日本は卑怯者となったのだ。

当時の軍部の最高指導者である
東条英機は
「負けたといったときが負けである」といった。
つまり
ぼこぼこに殴られて血だらけで気絶状態でも
「まいった」と言わなければ負けではない。
少なくとも自分は負けたとは思ってないのだから
負けではない、って。
だから玉砕だって。

その挙句沖縄島民20万人の命
広島市民14万人の命
長崎市民15万9千人の命が失われた。

その直後の大本営では
戦争を終結させるかどうかを決める会議が開かれていた。
6人の採決をとる。
戦争終結に3人
反対に3人。

この期に及んで、3:3と評決が割れるとは。

最終的には
天皇の判断で戦争を終わらせた。
「もういい加減いいでしょう」と言ったかは知らない。

天皇は自らマイクの前に立ち録音をした
1945年8月15日の玉音放送である。
その後GHQの政策によって残された天皇は
同じ過ちを繰り返さぬよう
日本全国を行脚し人民に語りかけた。

2.26事件において青年将校たちの粛清を命じたあと
自らの言霊の力を恐れた天皇は
ここにきてようやく言葉を取り戻したのだ。
現人神ではなく人間として。

 

 

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